■わだいさむものがたりP.3

御坊ロータリークラブ和田勇委員会

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1941年(昭和16年)12月、日本軍がパールハーバーを攻撃し、
日本とアメリカとの戦争が始まりました。
わたしの身体には日本人の血が流れているが、暮らすのはアメリカ。
わたしにとって、日本とアメリカの両方が祖国なんだ。
けれど今、そのふたつの祖国が争っている。なんと悲しいことか…。
勇は胸を痛めながら、辛い毎日を送っていました。

戦火が勢いを増すにつれて、日系人に対するアメリカ人の眼は日に日に厳しいものになりました。
アメリカ政府は日系人の強制収容を決め、勇にとっても事業を続けることが困難になってきました。
そんなある日、勇は、ユタ州で農園労働者が不足しているとの新聞記事を見つけました。


日系人が集団移住して農場で働いてはどうだろう。
日系人が軍需品の製造に関わることは禁じられているけれど、農園で穀物をつくることはできる。
農園の労働力不足を解決するためなら、
日系人のわたしたちでもアメリカの力になれるのではないか。
日本もアメリカもわたしの祖国。愛する祖国のために力を尽くしたい。

12歳-家を出る勇(イラスト) 勇の頭のなかには、
子どものころ過ごした和歌山の漁師町の姿が浮かんでいました。

その漁師町では、見張り番が魚群の接近を知らせると、
男達は漁船を沖へとくり出して網を投げ、魚の群れを取り囲みます。
浜では女や子ども、年老いた男たちが昔ながらの歌を歌いながら力を合わせて網を引きます。
そして獲れた魚はみんな平等に分かち合うのです。

「今のような困難な時代には、こんなふうに互いに助け合うことが大切なんや」
勇は早速、現地の日系人たちの協力を得ながら、一ヶ月かけて集団移住計画を進めました。
そして1942年(昭和17年)三月下旬、百三十人の賛同者を伴って、
勇一家は住み慣れたオークランドからユタ州キートリーの農場に向けて出発しました。