◆2024-25年度・
第20回和田勇賞授賞式・「和田勇物語」感想文最優秀賞表彰式



◆和田勇賞…該当者なし

◆小学生の部最優秀賞
「和田勇物語を読んで」
 山本 理都さん(印南小学校 5年)


和田勇物語を読んで思ったことは、大変なことや、思いどおりにいかなかったことがあったとしても、あきらめずに努力をすることが大切だということです。
苦しくてあきらめていたら、和田勇さんはあそこまで成功していなかったし、まわりの人の心を動かすことはできなかったと思います。
ぼくもつらくて、くじけそうになったときは、和田勇さんのことを思い出してのりこえていきたいと思いました。
ぼくのしゅみはスポーツですが、東京オリンピックが初めて開かれることになったのは和田勇さんが一生けんめいがんばったからだと知ってビックリしました。
そのときのスポーツをしていた人とスポーツのファンの人たちは、とてもよろこんでいたと思います。
日本中の人たちがスポーツを好きになるきっかけをつくってくれて、やりたい種目や目標をもつことができたと思います。
自分のまわりの人たちだけではなく、世界中の人たちをよろこばせるために努力をし続けたということはすばらしいことだと思いました。
ぼくのひいおじいちゃんは、名田町はら井戸で和田勇さんの近所に住んでいたそうです。
和田勇さんのほうが五才ぐらいとしうえだったとぼくは父から聞きました。
もしひいおじいさんが生きていたら、そのときのことをたくさん聞いてみたかったです。



◆中学生の部最優秀賞発表
「和田勇物語を読んで」
 中井 咲良さん(日高中学校 2年)

今の私達の生活は昔と同じだろうか。
一九四一年、私が生まれていないその当時日本はアメリカと戦争をしていた。
戦時中、日本の人々は貧しい生活をし、不安定な状況を生きぬいていた。
そんなある日、日本は敗戦令を出した。
日本に住んでいた人はこれをきいた時あまりにも驚いただろう。
なぜなら日本が負けを認めると、国全体が更に貧しくなり、日本は他国より下にみられ、日本人というだけで雑に扱われるからだ。
そのことは国外にいた日本人にもショックを与えた。
そんな中ある記事をみた男が立ち上がった。
記事には海外で開かれるオリンピックに日本の選手を出場させるために、現地の人の家に選手を滞在させて欲しいと書いていた。
その記事をみた男こそが和田勇だった。
和田は家族を納得させ自分の家にとめることにした。
少しでも日本の状況を変えたかったのだろう。
そうして和田は日本人選手を招いたことにより日本でオリンピックを開きたいという者に出会った。
和田はその考えに賛成し、自分にできることを探した。
日本で開催させるには海外からの票が必要だ。和田は自らの足で海外に訪れ交渉し始めた。
多くの国をまわり、自分がどれだけしんどくても交渉し続けた。
時には日本に対して良く思っていない国にも訪れた。
こうした血のにじむような努力により、ついに東京オリンピックが実現したのだ。
今の私達の生活は昔と同じだろうか。私はそうでないと思う。
そして敗戦から暗かった日本に光を与えた人物は和田勇さんだと考える。
私は和田さんと同じ出身地だということをほこりに思うし、このような偉大な人物がいたからこそ、私達は今、アメリカなど他の国とも良好な関係が続いていると感じた。

「ボクは日本が好きなんや」これは和田の口癖だ。
私も好きなもののために夢中になり、人生を捧げられる人になりたい。



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