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◆2016-17年度
第12回和田勇賞授賞式・「和田勇物語」感想文最優秀賞表彰式



◎2016-17年度和田勇賞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂下緋美氏(印南町文化協会会長 )
坂下緋美氏<プロフィール>
現印南町文化協会会長、和歌山県印南町生まれ
明窓出版エッセイ集「窓」の寄稿者としても活躍
(過去の「窓」寄稿者には、麻生太郎氏、赤塚不二夫氏、宝田明氏等、
文化人が名を連ねている。)
独自の個性美学理論を持つ恩師・故松島茂雄氏に出会い、
師より、美学・きもの着付け・ヨガ健康法などを学んだ。
この間、多くの外国との交流親善を体験し、
言語や習慣の違いはあっても、人の交流に国境はないことを学ぶ。
印南漁民 顕彰碑建立に力を注いだ。
(2016年「いなみの文化」第18号より)
夢は叶う「願いが強ければ」という言葉がある。
昭和48年、印南町文化協会の発起人達が、
江戸時代、カツオ漁法と鰹節製法を全国の主要産地に伝えた、
印南漁民の偉大な功績を世に伝えたい思いで燃えていた。
そしてそれを協会の胆としていた。
昭和60年、印南漁民「顕彰碑」建立を働きかけたが、思いを果たせず、全員他界。
そんな先人達の悔しい思いを背に感じ、引き継いだ。
紆余曲折の末、H27年7月、多くの賛同を得、念願の「顕彰碑」を建立した。
現在、紀州の自然の中で、地域の人にこれまで自分が学んだものを指導する日々。
傍ら、町の文化活動に積極的に関わり、素朴な中の交流を楽しんでいる。


◆第12回和田勇物語感想文優秀作品表彰式

◎和田勇物語感想文・小学生の部最優秀賞
「和田勇物語を読んで」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・力津彩愛さん(志賀小学校5年生)
力津彩愛さん

私は、和田勇物語を読んで、
和田さんは、日本のために行動してくれた人だと思います。
和田さんは、アメリカで生まれて
四さいからの五年間だけ祖父母のいる、御坊・日高で生活して、
両親から離れさみしい毎日を送っていたと思います。
和田さんは、頼まれると、NOと言わずに他人のために行動してすごいと思います。
「全米水泳選手権へ出場する日本人選手団に
宿泊所を提出してくれる人を探している。」という新聞の記事を見た時も、
すぐに、日本水泳選手団招致委員会に電話をかけて、
選手たちを受け入れる旨を申し出たそうです。
そんな行動を、私ならしないと思うから、すごい人だと思いました。
和田さんの所に、九日間滞在中に、選手たちが少しでもリラックスできるように、
和田夫妻は、仕事や家庭を二の次にして、心を込めてもてないたそうです。
私はその二人は、やさしい人だと思いました。
東京オリンピックを開催のために、色々な人たちを説得したり協力を求めたりした、和田さんは、
「ああ、日本はこれで一等国の仲間入りをしたのやな。
戦争に負けて貧しく苦しい境遇になってしもうたが、よう立ち直ったもんや。
日本はみんな、よう頑張った。」といって、
涙を流した和田さんに私は感動しました。

その後に、老人ホームを設立し、
日系人高れい者のための福祉施設の整備に取り組み続けました。
和田さんは、九十五才でなくなりました。
故郷を思い、自らをかえりみずに人のために尽くし続けた和田さん。
その気持ちの根底には、分かち合いの精神が息づいていたんだと私は思います。

◎和田勇物語感想文・中学生の部最優秀賞
「勇気と自信を我が国に」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森山栞奈さん(御坊中学校2年生)

森山栞奈さん和田勇、この人は何をした人なのだろうか。
私は興味を持ちながら、テレビの画面に目を向けた。
一九四九年、この頃日本は他国から良く思われてはいなかった。
その時、和田勇のもとにやってきた水泳選手達を
和田勇は快く家に泊め、世話をした。
そしてその水泳選手達が出場した大会で、選手らはアメリカ人などが集まる中、
なんと、九つの世界新記録を出したのだった。
それからというもの、他国からジャップと呼ばれていた日本は、
日本人水泳選手の活躍により、ジャパニーズと呼ばれるようになった。
この様になったのは、選手達の世話をした和田夫妻のおかげだという
日本水泳連盟の会長は、和田勇に言った。
「私の夢は、東京でオリンピックを開催することだ。」と。
それを聞いた和田勇は、会長の夢を叶えるため、中南米九か国を妻と一緒に訪れた。
その中の一国、メキシコにいるクラークを訪ねた。
クラークは和田勇に聞いた。
「どうしてオリンピックについてそこまで情熱的なのか。」と。
和田勇は迷わず答えた。
「東京オリンピックで、人々に勇気と自信を与える確信があるからです。」と。
クラークは和田勇の熱意に感服し、東京を支持するよう、大統領に伝えた。
こうした、和田勇の努力が実り、一九六四年、
第十八回オリンピック大会の開催地は東京に決定したのであった。
私はこの話を目にし、耳にし、とても感動した。
「和田勇」という人物のした事の素晴らしさ、
強い思い、夢を実現させる力、
そして和田勇さんの考え、行動を支えてきた妻の正子さん。
それらは、私の今後の人生を左右するものであった。
 「自分よりも他人を思いやる。」
そんな事は本当にできるのか。
私にはできない、そう思っていた。
誰だって、自分が一番大切と思っているに違いないと思っていたからだ。
しかし、和田勇さんは違った。
自分のためではなく我が国に、わが国の人々のために、
自分の人生を尽くしたのだった。
それを知った私は「人のために」という言葉がどれほど偉大なものかを感じた。
「あなたの夢は何ですか。」と聞かれた時、
私は今日まで、自分が有名になることや自分の得になるような夢ばかりを口にしてきた。
しかし、和田勇さんの考えを知り、
私も、人々に勇気と自信を与えられるような人になりたい、そう強く思った。
和田勇とは、我が国に勇気と自信を与えてくれた日本の偉大な貢献者である。
そのことを忘れずに、私は、「自分よりも他人を思いやれる人間」を目指して、生きていこうと思う。




★その他の入賞者の皆さんは、以下の通りです。(敬称略)
【中学校の部】応募者500名・15校

優秀賞
〜大井菜月(清流中学校2年生)
入選
〜児嶋凛(県立日高高等学校付属中学校2年生 )
〜藁科早希(切目中学校2年生 )
〜久保田彩楓(印南中学校2年生 )
〜小阪和永(河南中学校1年生 )
〜池本華澄(美山中学校2年生)
〜平松楓(美山中学校2年生)
〜楠見慎海(名田中学校2年生)
〜谷口明洋(早蘇中学校2年生)
〜神田蕗(由良中学校2年生)
〜玉井咲世(湯川中学校2年生 )
〜山本琉稀(日高中学校2年生)
〜田中慈晏(稲原中学校2年生)
〜寒川薫(大成中学校2年生)
〜玉置芽依(松洋中学校2年生 )

【小学校の部】応募者数421名 22校
優秀賞
〜伏木千晴(御坊小学校5年生)
〜舩木彩羽(清流小学校5年生 )
〜久保真吾(清流小学校5年生)
〜細田春那(和佐小学校5年生)
〜伏見志(切目小学校5年生)
〜皿山麗丘(内原小学校5年生 )
〜大前沙帆(中津小学校5年生)
〜浜野七宏(白崎小学校5年生)
〜大江勇輝(塩屋小学校5年生 )
〜玉置充将(三百瀬小学校5年生)
〜濱未來(比井小学校5年生)
〜中本樹志(衣奈小学校5年生)
〜足立星(湯川小学校5年生)
〜M田妃乃(由良小学校5年生 )
〜花谷昂祐(稲原小学校5年生)
〜宇和七音(川辺西小学校5年生)
〜石永琉愛(松原小学校5年生)
〜鉢本雅(笠松小学校6年生 )
〜井川咲世( 印南小学校5年生)
〜尾前美優(野口小学校5年生)
〜宮井礼菜(藤田小学校5年生)
〜寒川仁(笠松小学校5年生)
〜谷口愛純(山野小学校5年生)

(中学校:応募者数500名15校、小学校:応募者数421名22校、合計921名)


 

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