■わだいさむものがたりP.1

御坊ロータリークラブ和田勇委員会

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絵本和田勇物語-表紙イラスト

-御坊・日高に自信と誇りを-和田勇物語
東京にオリンピックを呼んだ、ふる里ゆかりの国際人
/文-長岡亜矢子、絵-かりやぞののり子


1907年(明治40年)9月1日、和歌山県御坊市名田町祓井戸(はらいど)出身の
和田・ジョン・善兵衛と日高郡由良町戸津井出身の玉枝の間に、
和田・フレッド・勇は生まれました。


勇の父、和田・ジョン・善兵衛は
1892年(明治25年)に出稼ぎ漁夫として
カナダのバンクーバーに渡り、
玉枝と結婚してからは、
カナダ国境に近い米国ワシントン州べリングハムで夫婦ふたり、
小さな食堂を営んでいました。

しかし家は貧しく、七人兄弟の長男だった勇は
口減らしのため両親と別れて、
和歌山県の祖父母のもとに預けられることになりました。


 「妹や弟がたくさんおるんやから、ぼくが我慢しなければ」
勇はまだ四歳でした。
遠く離れたアメリカに住む両親が恋しくて、
ひとり泣いた夜もありました。

 勇4歳-イラスト
しかし勇は寂しさを決して表には現さず、持ち前の明るさと前向きさで、
和歌山での生活に馴染もうと努めました。
御坊市名田町の名田小学校に通い、地引網漁を手伝ったり、
「淡海節(たんかいぶし)」や「鴨緑江節(おうりょくこうぶし)」という
地元に伝わる歌を歌ったりと、地域にとけ込んで暮らしました。